人は独りじゃ生きられない?

そんなのは弱い人間の戯言だ。

 

 

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道端のガードレールにもたれて眠りこけていたそれを夏原が見つけたのは偶然の産物に他ならない。

食事に出かけた帰り、人だかりが出来ていた道端をふと見やると人垣の隙間から男が倒れているのが見えた。

それは落ちていたと言っても過言ではない程ぐったりとして自分ではぴくりとも動こうとしなかった。

死んでいるのかとも思ったが、僅かに胸が上下して、まだ生きていると主張していた。

顔に見覚えがあった。片桐 信也だった。

夏原は無言で人込みを分けて近寄ると、信也の体を抱え迎えに来た運転手が開けた車のドアから後部座席へと手荒に放り込んだ。

「お連れになるのですか?」

驚いた運転手が夏原を窺う。

「ハイアットへやってくれ。」

無表情でチラリと視線を返すとセカンドハウスとして借りていたホテルへと運ぶ指示をした。

「承知致しました。」

言ってから

「少し臭いますな。」

運転手が鼻を摘むような仕草をしてみせた。

少しどころではなかった。

家を出てから、満足に風呂に入ったり、着替えをしたりしていないのだろう。

体臭と汗と汚れ。とにかく臭かった。

運転手が気をきかせて窓を半分程下ろしたが、それでも臭いは消えなかった。

 

ホテルに着くとベルボーイが出迎えた。

「お帰りなさいませ。夏原様。」

「連れを運んでくれ。」

言うと後部座席の信也を指した。

服装が尋常ではないほど汚れ意識も無い青年にも不信感を隠し慇懃に礼を尽くすベルボーイを置いて、夏原はロビーを横切ってエレベータホールへと進む。

深夜のホテルは人も疎らで幸いにも見咎められる事はなかった。

ベルボーイと運転手二人がかりで眉間に深く皺を刻みながら、部屋へ運ぶとベットに寝かせて一礼するとベルボーイは出て行った。

「これから、いかが致しますか?」

運転手が問う。

「車で待て。」

「お帰りになられるので?」

チラリと視線をやり、頷くと「畏まりました。」と運転手は一礼して出て行った。

 

暫し、ベットの中で寝込んでいる青年を夏原は不思議そうに見つめた。

「よく寝ている。」その青年は自分を殺したい程に怨んでいる片桐 信也に他ならず。

自分が拾ってきたにもかかわらず、夏原自身にも自分の行動の真意は分からなかった。

「ふん。」と自嘲気味にせせら笑うと夏原は電話を取った。

 

 

 

 

 

「目ぇ覚ませよ。オィ。」

ペチペチと軽く頬を叩かれて目を覚ますと見るからに柄の良くない若い男が信也の顔を覗き込んでいた。

「誰だ。アンタ。」

「行き倒れ、助けてもらっといてその言い草はねぇだろ。ボーズ。」

別の声がした。

目を擦り部屋を見渡すと、ソファーには品の良いスーツをビシッと着込んだ男がもう一人居た。

「取り合えず風呂に入って来い。ボーズ。話はそれからだ。」

言ってスーツの男はバスルームを指差した。

躊躇する信也に柄の悪い男が畳み掛けるように言った。

「お前ェ、臭うんだよ。分かんネェか?」

信也はベットの上で自分の姿を省みた。

確かに風呂に入るべきだとは思ったが、目の前に居る人物達の只ならぬ気配に動いて良いのか計りかねた。

「さっさと行けやっ!」

若い男はイライラとした面持ちで恫喝すると信也の腕を手荒に掴み、ベットから引き摺りおろしバスルームの扉を開けた。

バスルームに入ると紙袋が押し付けられ、乱暴にバタンと扉が閉められた。

室内を見回すと窓はあるにはあったがガラスはぶ厚い嵌め殺しで逃げられる様ではない。

ドラマや映画でもあるまいし天井のダクトから逃げられるハズもない。

信也は心を決めて、兎に角言われた通り風呂に入ることにした。

 

広いバスルームは白い大理石のタイルを基調に清潔に整えられ、中央にしつられられた大きなバスタブにはなみなみと湯がはられている。

大きな窓のシェードを上げると夜景が一望出来た。

姉の菜穂と見たテレビで映っていた高級ホテルみたいだと思った。

「一度あんな部屋に泊まってみたいな。」

菜穂がテレビを見つめながら何気なく言った。

「俺がいつか就職したら連れてってやるよ。」

(姉ちゃん、テレビを見てうっとりしてたっけな。)

そんな他愛無い会話がふと思い出された。

 

良くは分からなかったが、これ以上悪い方向に進むとは思えなかった。

 

否。思いたくはなかった。

 

ガサガサと音を立てて紙袋を開けると少しサイズが合わないがちゃんと着替えが用意されていた。

汗や汚れで薄汚れたシャツを脱ぐ。汗で張り付いたジーンズは所々擦り切れていた。

水道の栓を捻るとシャワーで頭と体を洗った。

久しぶりのシャワーに「ふーっ。」と息が洩れる。生き返るようだった。

顔をこすり、髪を軽く流すとシャンプーをつけ、ゆっくりと髪を洗った。

シャンプーをつけたものの汚れきった髪は中々泡立たずに流れ落ちる湯だけが黒く濁っていて信也は思わず苦笑した。

何度も髪を洗い直し、それが終わるとタオルを手に取って石鹸を擦りつけ今度は体を洗った。

黒い湯が流れなくなるまで、丁寧に体を擦る。

厚手のタオルの感触は垢まみれの体を洗うには少し心もとない気もしたが、心地は良かった。

軽く剃刀をあてて少し伸びてきた髭をそった。

体がさっぱりすると自然と頭の中もすっきりとしてきた。

 

バスタブに浸かりながら窓の外を眺めると湯気に曇った夜景の向こうにライトアップを終えた東京タワーがひっそりと暗く霞んで見えた。

 

信也は何故、自分がこんな場所に居るのか必死に記憶を手繰ったがどんなに頑張っても思い出せそうになかった。

自分が覚えているのはガードレールに凭れて座りこんだ時の感覚が最後だった。

あの時の様にずるずると背中を滑らせてバスタブに沈み込み、頭まで潜って目を瞑り息を吐いた。

繋がらない記憶の断片が信也の脳裏を行き来していた。

睡眠をとったことで疲れは大分癒されたと思う。

湯から上がると両手で顔の水滴を拭い、髪を手荒に撫で付けた。

 

バスルームの外では得体の知れぬ男達が信也を待ち構えている。

確かなコトはそれだけだ。

信也は出来るだけ時間をかけてゆっくりと見繕いを始めた。

 

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