誰も信じない。誰も愛さない。

人生なんて所詮はマヤカシ。

 

 

since 3

 

 

バスルームから出てきた信也の正面には背の高い若い男が立ちはだかっていた。

信也は促されるままに身を硬くしてソファに腰掛けた。

「片桐信也だな。」

眼鏡をかけたスーツの男が言った。

頷くと

「お前の親父に金を貸してたモンだ。」

とスーツの男が名刺をくれた。

男の名刺には 『 相楽興業 融資部部長 手塚 隆弘 』 と書かれていた。

会社の名は信也も見覚えがあった。立派な社名は付いているが要するに違法な金利で金を貸し付ける貸金業者で、いわゆるマチ金とかサラ金とか呼ばれているヤツだった。

確か、家の近所の電柱や道路脇に時折ビラが貼られていた筈だ。

脳裏に浮かんだのはワイドショーやドラマで見た取立て屋だったが実際に目の前に居る男はテレビで見たヤツ等とは違っている。

信也は緊張で乾いた口内に染み出した唾を僅かな恐れと共にゴクリと飲み込み口を開いた。

「オヤジの金は・・・」

 

「あぁ。借りた金は返さなくてもいい。お前の親父が破産申し立てをした事はこっちにも分かっている。」

 

手塚は俯きかげんに眼鏡を外すとレンズに付いたゴミを払うかのように軽く息を吹いてチラリと一瞬視線を上げた。

手塚と信也の視線が絡み合った時、思わず信也は顔を逸らした。

落ち着いた物言いや物腰は普通のビジネスマンかそれ以上に見えた。

だが、その視線の強さは。

明らかに違う。

「本来ならどんなことをしても返して貰うのがこちらの仕事なんだがな。」

「・・・。」

手塚は眼鏡を再びかけ直すと答えられずにただカーペットの柄を見つめる信也を無視するように先を続けた。

「最近の素人さんは法律家に変な知恵を付けられたせいで商売上がったりでな。」

薄く笑った口元が、眼鏡で隠されていた端正な顔立ちを冷たく引き立て、更に手塚の迫力を増す。

「今回、助けた分をウチで働いて返してくれれば文句は言わん。」

否応言わせぬ雰囲気を放ちながら手塚は淡々と事務的に話を進めていく。

そして手塚の傍に居た若い男から渡された請求書と書かれた紙には『壱千万円也』

高校生の信也からすれば法外な金額が手書きされていた。

「なんなんだよ!コレっ?!」

「お前を拾った時に俺たちが負った負債だ。」

「よーするに今お前が着てる服。この部屋。お前を運んだ労力。諸々に掛かった金だよ。」

「こんなにするハズないだろっ!」

精一杯ドスを効かせた信也の怒声にもスーツの男は眉一つ動かさなかった。

勢い立ち上がり掴みかかろうと手を泳がせた信也の肩を若い男が強い力でソファへと引き戻した。

「足立。」

手塚は低い声で若い男を制した。

足立と呼ばれた若い男は黙って信也から手を離し一歩下がった場所へと移動する。

「どうせ行く場所もあるまい。」

冷たい声で男は続けた。

「アンタに助けてくれなんて俺は頼んでない。」

ただの虚勢であることは自身でも分かっていたが、今は抗う以外に思いつかなかった。

「一人前の口を利く。」

軽く鼻であしらう様に笑われた瞬間、後から強引に首筋を掴みテーブルへとうつ伏せに押し付けられた。

ゴンっ。っと鈍い音がした。大理石のテーブルの冷たい感覚を頬に感じた。そして熱い額。

「高い部屋だ。汚すなよ。」

手塚の声がした。

手をジタバタと泳がせ信也は見えていた足立の足を渾身の力で掴んだが、振りほどかれて蹴りを入れられた。

体を起こされて更にボディーを殴られる。

吐き出すものが無くこみ上げてきた胃液が口から溢れた。

更に殴られると血の味が混じって急激に気分が悪くなって体が床に崩れ落ちた。

どうやら鼻血が出ていたらしい。

「そんなツラ、床に付けたら、更に借金がかさむぜ。」

カーペットに顔を付けない様に信也の髪をぐっと引っ張り上げると足立はニヤリと笑った。

 

死んでもいい。いっそ殺してくれと思ったばかりだというのに、本気で殺されるかもしれないと思ったら体がそれを拒んだ。

必死に足立の手を振り払って立ち上がると勝てるはずはないと思っていても条件反射で殴りかかっていく。

顔に拳が触れたハズだった。が、実際には足立の掌で受け止められていた。

「ガキが。」

一言の元に腕を掴んだまま蹴りを入れられ右腕を締め上げられた。

体の中から軋んだ音がして、痛くて暴れると激痛が走った。

信也の右腕から鈍い音が響いた。

「う。だぁっ・・・。」

腕を抱えてしゃがみ込んだ。今度はさすがに立てなかった。

脱臼した肩関節は熱を持ち、自分の腕が思わぬ方向に曲がっている気がした。

痛み以外に感じなかった。

「折れたな。」

手塚の冷たい声が状況を知らせる。

更に足立に足蹴にされ、体が転がる。

「どうするんだ。ボウズ。」

再び立ち上がる気力は削がれていた。

「家族に会いたいのはヤマヤマかもしれんがな。悪いがお前を殺してはやらん。」

手塚の淡々とした声に荒い息の下で信也はゆっくりと目を閉じた。

「働くか?」

信也はこくりと頷いた。

 

考えなければならない事が多すぎて今の自分では正直、処理しきれない。

何がどうなっているのか?何故こうなってしまったのか?

どこにも逃げ場はない今の状況。

信也は自分の置かれた立場を理解出来ずにいる。

この体中の痛みも耐えるしかない今の状況も全てが理解の外にあった。

 

「痛むか?」

手塚の声も僅かにしか聞こえない。返事も出来ない。

貧血でもおこした時の様に意識が遠くなっていく。

「足立。」

「わかりました。」

ぐっと肩を掴まれ、ゴリッという音と共に強引に外れた肩が戻された。

息が苦しくて満足に呼吸も上手く出来ない。既に痛みで声も出ない。自分が涙を流して泣いているコトさえも信也は気付かなかった。

頭から血は引いているのに、体は熱い。血が逆流して泡立つような感じだった。

信也は今まで生きてきた人生でこんな苦痛を味わったことはなかった。

口の中に何かを流し込まれたが飲み込めずに吐き出す。

それを何度か繰り返したあげく、最後には無理やり口を塞がれ、鼻を塞がれた息が出来ずに飲み込むと微かな意識の隙間に父によって殺された姉の死様を思った。

(姉ちゃんもこんなに苦しかったのか?)

 

そして足立の肩に担がれてホテルを出た時には信也の意識はすでに無かった。

 

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−>next >close