彼と出会ったのは丁度一年前。
その日は闇曜日で闇支配。
しかも場所はフェ・イン。
何か起こりそうな日ではあった。
コウモリの羽音以外に音のない空間も、漂う死の気配も、冷たい空気も。何もかもが禍々しく感じられて、俺は何だか嫌な
汗をかいていた。
友人に頼まれてクロスカウンター狙いでNMを張っていた時の事だった。鍵を持っていた俺はNMの再出現時間の合間を見て
箱がないか見て回っていた。
その時、通りかかったある部屋の隅に居たシャドウの様子がおかしいような気がして、ふと足を止めたんだった。
自分と同じエルバーンの姿をしたこの亡霊が俺は心底嫌いだ。いつも武器を構えて弱きものに襲い掛かる機会を
窺っている、病めた魂のなりの果て…。
そのシャドウが武器を床に置いて、しゃがんでいる?
何かを抱いているようにも見えた。
いや、確かに何か抱えている。
シャドウが抱えていたその正体を見て、俺は我が目を疑った。
それは人。ヒュームの若い男…白魔道士のAFを着ているその人物を表情も顔もないシャドウがその男の上半身を
酷く不安定な状態で抱きかかえていた。
抱かれているその白魔道士の顔には血の気はない。その腕も下肢も力なく、ただその付け根から垂れている。
…死体か?
だが傍からは目立った外傷は見られない。
奴らが反応を示すものといえば、自分より弱き生命と死の近い命のみ。そんなシャドウが人の…戦闘不能状態の人の
身体を抱いている。
信じられない光景に、俺はその屍と化したその男をシャドウから引き剥がそうと無意識に剣を抜いていた。
剣が鞘に磨れた金属音が白い壁の部屋の中に、やけに生々しく響く。
フラッシュを叩き込むとさすがに俺に気が付いたシャドウがこちらを振り向き、闇のように黒い肌の顔に光る赤く禍々しい
眼が俺に向けられる。
シャドウを薙ぎ払うように剣を振るう。その剣を避けようとシャドウが立ち上がる。
しかし、そのシャドウは白魔道士の身体を両脇から羽交い絞めにするような荒っぽい抱え方をしながらも、その手を離そうと
しない。
何故?
再び俺は剣を振り下ろす。
今度は確かな手ごたえがあった。肉らしきものを裂く重い感覚が手首から腕全体に確かに伝わる。
しかし次の瞬間、そこには何も居なかった。俺は一瞬何かの錯覚に捕らわれたのかと、辺りを見回したがそうではないらしい。
幻だったかのように、そのシャドウの姿は俺の目の前から消えていたのだ。
ドサッと鈍い音がして、そのシャドウが居たはずの足元にあったのは、力なく横たわる若いヒュームの白魔道士の姿だけ。
何が起こったのかは良く分からなかったが、一つだけそのシャドウに「逃げられた」事だけは分かった。
闇支配が弱まったのか、何処となく暗かった視界がかすかに明るくなる。
剣を鞘に収め、急いでその白魔道士に近寄る。
やはりその顔に血の気はない…
彼の顔に手を伸ばす。恐ろしいモノにでも触れるように手が震えているのが自分でもわかった。
冒険者になり、自分も含め仲間の戦闘不能状態など嫌と言うほど遭遇してきたのに。
何故かこの時は初心者のように、今目の前にしている死が恐ろしかった。自分までもがその「死」に巻き込まれそうな恐怖感。
触れたその白い頬はすっかり熱を失い石のように冷たくなっていた。
そして嫌な肌の湿り気…
崩壊へと向かう肉体の変化。
これ以上はヤバい。
それは今までの俺の経験がそう言っていた。
もうこの状態に陥ってからかなりの時間が経っている。これ以上の時間の経過は、冒険者としてアルタナに守られる
その命さえも、この世にとどめる事は出来なくなってしまうだろう。
「おいッ、ラウール!どうした!?」
チャットに返事をしていなかった俺の様子を見にきたのか、仲間の黒魔道士でヒュームのロッシュとモンクでミスラのラチャが
走ってくるのが見えた。
「ロッシュ、レイズしてやってくれ!かなり時間がたってる。」
一秒でも早く俺がレイズをしたいところだったが、微妙にMPが足りない。強敵が居るわけでもないと思ってヒーリングを
サボっていたのが痛かった。
その俺の言葉に駆け寄ってきたロッシュが慌てて白魔道士の顔を覗き込む。おじく駆け寄って来たラチャが格闘武器を構えて
俺たちに背を向ける。
「なんや分からんけど、掃除はうちに任せときッ」
どこでTPを溜めて来ていたのか、ラチャは周りに居たDSに向かうと初っ端ッから夢想をぶっ放すわ、カウンターにキックにと
あっという間に部屋にいたシャドウをのしていく。
最後のシャドウにラチャが殴りかかるのを確認して、ロッシュがレイズを詠唱し始める。
(…間に合ってくれ!)
俺はただ、祈る事しか出来なかった。
蘇生魔法が発動し、白魔道士の身体に眩い光が降り注ぐ。
…しかし、白魔道士の彼は動かない。
「かなり意識が持ってかれてるな、こりゃ。」
ロッシュがそいつの顔を覗き込んで冷静に呟いた。
後衛ジョブの殆どを一通り上げている彼はこういう場面には詳しい。
その言葉が意味するところは俺にもわかっていた。危険な状態だと。
戦闘不能から時間が経ちすぎて死の淵に囚われてしまっているか、自分が死んだと思い込んでいるか、戻ってくる意思が無いか…
俺は咄嗟にそいつの頬を力いっぱい引っ叩いていた。
「おい!逝くなッ!!」
微かだが、そいつの睫毛がピクっと動いたように見えた。
しかし、それ以上の反応は見られない。未だ息もしていない…
「乱暴はあかんて!」
「まて。」
俺を止めようとしたラチャをロッシュが制止する。
「刺激は与えた方がいい。反応がないならもう一発見舞ってやれ。」
そう言われて、俺は躊躇いも無く白魔道士の頬を反対側も引っ叩いた。
その瞬間。
「はぁッ……ゲフッゴホゴホォッ…ぅ…ごほォ…」
一瞬大きくが見開かれ、ショックで肺いっぱいに空気を吸い込んだ彼は咽て大きく咳き込んだ。
生き返ったばかりのそいつの頭を俺の膝の上にのせてやる。
「やったーっ」
その白魔道士の反応にラチャがぴょんと跳ね上がった。
蘇生を確認したロッシュが冷静にケアルを詠唱する。
「これでひとまず………おい?」
衰弱していて少くはあるが、彼のHPが回復したにも関わらず呼吸がおかしい。
先刻から全力疾走でもした後のような激しい呼吸が収まらない。
「…ぁ…ハッハッ…ゴホ…ぅ…ぁ…ハッハぁッ」
「安心しろ…もう大丈夫だから」
声を掛けたが聞こえていたかどうか…
見るからに身体も精神もパニックに陥っている。
「スリプル…」
俺の上からスペルが降ってきて、咄嗟にロッシュを見上げた。
そこには神妙な面持ちの友人の顔。
「何を…!?」
「落ち着かせるならこれが手っ取り早い。それに…訳ありだぞ、そいつ。さっさとここから連れ出したほうがいい。」
俺の膝の上で眠る白魔道士の顔と俺の顔とを交互に見て、ロッシュは諦めに似たため息をつく。
ラチャが部屋の隅へと歩いていって、壁際の足元から拾い上げたモノがあった。それは紫色の液体が入っていた痕跡が
残る空き瓶…
「訳ありて、これの事やない?ロッシュ。」
恐らく中身は毒薬の類。
その空き瓶を手にしたラチャにロッシュは頷いて見せた。
そして3人の視線が交じり合う。
…やばい拾い物をしたぞ、と。
しかし…
蘇生した瞬間に初めて見た白魔道士の淡いブルーの瞳。
それが強烈に俺の脳裏に焼き付いていて、俺は何故か因縁めいたものを感じずには居られなかった。
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