現実と現実の間に住まう非現実。

 

gravity 3

 

職業上、自分のテリトリーに居る相手を観察することはオレにとって息をすることと同じ極自然な行為。

わずかな時間に相手の顔・体の造りを覚え、クセを見抜き、距離を測り、技量を見極める。

一瞬の見過ごしが死に繋がる。無駄な動作も叱り。

感だけに頼らず、経験に溺れず、必要な情報を読み取り、常に冷静な行動と瞬時に下す正確な判断。

それらを必要とする世界に物心つく前から身を置いてきた。

大きな組織の中で育てられ養われるには、当事者自身には知らされない事情がある。

訓練は常に死と隣り合わせで、ついて行けない者には死が待っている。

疑問を抱く者や反抗する者にも同等の罰がある。

命令された事を的確に素早くこなせてこそ、辛うじてヒトと認識され、食事と快適な寝場所を与えられる。

オレが初めて「外」に出たのは17歳の時。

そして初めて自分の意思で人を殺めたのも。

「暗殺者。もしくは戦闘員。」それが組織の中でのオレの役目。

 

生き延びてきたにはそれなりの理由がある。

 

足早に向かいの通りを横切る長身の後姿に一瞬気を獲られたスキに追い詰められた。

週末の繁華街の喧騒が耳に障る。

左右に刃物を持った男が2人。正面には銃を隠し持った男が1人。更にその先に路地を塞ぐ車。と背後は壁。

オレは丸腰。このまま行けば万事休すと言ったところだが、ヤツ等には有利な状況に男達の油断が見て取れる。

ワザと余裕の笑みを洩らす。

男達が反応する前に正面の男に向かって走り出す。男を蹴倒し懐から銃を奪う。

長年の訓練と実践で身に着けた本能に等しいオレの動きにヤクザ如きがついてこれる筈もない。

刃物を振り回す男達を軽くかわし殴り飛ばす。そのまま車のボンネットを走って飛び越え逃げ去ろうとしたその時、左腕に激痛が走った。

背後からの殺気に咄嗟に体は反応したものの避け切れなかったらしい。

(銃を持っていたヤツがまだ居たらしい。)一瞬、体勢を返して銃を向けていた男の眉間を狙って撃つ。男が倒れる気配がした。

銃声は都会の騒音に飲み込まれて街を歩く人々には聞こえなかったらしい。

路地から出ると歩みに替えて足早に去る。残りの男達の追手の気配はない。

黒いYシャツの左の二の腕に焦げたような後が一つ。わずかに血の臭いがしてオレは眉間に皺を寄せた。

血痕を残さぬようにシャツの袖口を捲り上げ捻るように縛って傷口を押さえ込む。

顔を上げるとコーヒースタンドで飲み物を片手に立っている男の姿が目に留まる。

「あ・・・。」

彼が居た。

2ヶ月前、バーに現れた男。たった一度、一夜だけの本当の客。

あの日、彼がカウンターに置いていった札は結局使われることなくポケットの中に未だあった。

持ち歩いている自分に妙な感じがしたが2ヶ月経つとそれがクセになる。

 

ふと彼の視線が行きかう人通りを流れて留まった。

目が合った。

そのまま店を出てくるとオレに向かって歩いてくる。

「よぉ。」

何も言わないオレに彼はもう一度声を掛けてきた。

「今日は休みかい?」

「・・・・今晩は。」

「店閉めたんだな。行ったらなかった。」

「あぁ。あの日が最後でしたから。」

「そうか。で、今は別のトコに?」

「いえ。休職中で。」

「じゃ。ヒマなんだ。」

「まぁ。そんなトコです。」

「メシ喰った?」

「・・・は?」

「だからメシ。」

「帰って喰います。」

「よーするにまだなんだな。」

彼は強引にオレの手首を掴むと「付き合えよ。奢るから。」と歩き出した。

 

 

繁華街の中心から少し離れた小料理屋は一階にはカウンターとテーブル席が二つ、二階に座敷が一つ。

店主は気のいい親父で若い頃は名の知れた渡世人、今で言うヤクザ者だったが組を辞め堅気になってから随分苦労してこの店を持った。

俺の親父とは子どもの頃から付き合いで、俺も小さい時から出入りしては構ってもらっていた。

店の暖簾をくぐると威勢のいい声が掛かる。

「っらっしゃいっ!なんだお前ぇか。」

「相変わらず元気そうだな。オヤジさん。」

軽く手を上げて答えると満席の店を見渡す。

「おぅよ。随分、ご無沙汰だったじゃねぇか。」

「こう見えても忙しくてね。」

「そりゃ、結構な事じゃねぇか。」

「ここも繁盛してんな。出直すよ。」

「バーカ!ガキが遠慮すんな!上が空いてる。座敷行け!」

とオヤジさんは顎を軽くしゃくって階段を指した。

大人しく着いてきた男を伴って靴を脱いで階段を上がる。

座敷に座ると女将がビールを2つ持って上がってきた。

軽く挨拶と世間話をしたあと、連れを見て「友達かい?」と聞いてきた。

そうだと答えると連れの男が向かいで微妙な顔をしたのでつい笑う。

「腹減ってるか?」と男に聞くと「あまり。」と短く答えるので「酒とツマミを適当に。」と女将に頼んだ。

 

「あの。」とオレが切り出す前に彼はジョッキのビールを一口美味そうに飲むと

「悪かったな。無理やり連れてきて。」

これっぽっちも悪いと思っていない風に笑った。

「会いたかったんだ。お前さんに。」

彼はそう言ってビールをもう一口ゴクリと飲んだ。

「男に興味はないのでは・・・。」

「そーゆー意味じゃねぇよ。」

ふふん。と笑う。

「バーに行った次の日な。バーの前通ったら跡形もなくてな。別の店だった。」

(別の店か。)今までバーのその後など気にした事はなかったが、組織のやる事は素早い。

一晩のうちに別の店に入れ替えてバーの痕跡を消す位の事は簡単にやってのけるだろう。別に驚くことではない。

「あーーーー。あれだ。狐に化かされたと思ったぜ。」

「狐?ですか。」

「そう。狐。」

「・・・・・旧い。」

「・・・悪かったな。まぁ、要するに夢かと思ったけど。」

コーヒースタンドからオレを見つけてどうしても話がしたくなったのだと言った。

彼は松本と名乗り、名刺をくれた。

世情に疎いオレでも聞いたことのある商社の社名とロゴが入っていた。どうやら本当にサラリーマンだったようだ。

いくつか聞かれて23になったばかりだと答えると少し驚いた顔をしていた。

同じ位かちょっと若い位だと思っていたと。

32だと言うそっちの方が年よりかなり若く見えるクセに。

「そんなに老けて見えますか。」

「老けちゃいねぇが、妙に落ち着いてたからなぁ。」

伝説のバーテンか何かかと思ったぜと、からかい気味の口調で言った。

「まぁ。いいや。夢じゃなかった。」

そしてまた笑ってジョッキを軽く上げると残っていたビールを豪快に飲み干した。

 

to next     close